おいしいもの大好き
 つる軒の味噌おでん
  藍染めの布張りの引戸
 小粋なお座敷には
 甘い味噌の香りがいっぱい
 大きなお鍋に
 大根、角麩、豚バラ、玉子
 次々と平らげて
 おかわり!

  文 高田都耶子
  (エッセイスト)



尾張・名古屋の「つる軒」は味噌おでん専門の店。箸袋には「甘口で腹一ぱい 酒呑みに不向き 食べるだけの店」とユニークな文が書かれていた。
 大きなお鍋にぎっしりと並べられた具が、グツグツと体を小刻みに動かして、お鍋の中、まるで"おしくらまんじゅう"をしているようだ。甘い味噌の香りが部屋いっぱいに広がって、お腹の虫もくーっと応える。
 具は七種類。こんにゃく、玉子、焼き豆腐、角麩、里いも、豚バラ(豚三枚肉)、そして大根。いえ御主人いわくデャーコン(名古屋弁)だそうである。
 まぁるく並べられた具には、赤茶色の味噌ダレが、たっぷりとかけてある。秘伝のタレは、濃さの違う三種類の味噌を合わせたもの。それに味醂、ざらめ、酒を加えて煮込む。その日の新しい味噌だけでは、コクのある味が出ない。煮詰めて寝かしたタレを使う。
 ところで、タレに使う赤味噌は八丁味噌かと、よくきかれるが、違うそうである。八丁味噌は三河の国・岡崎のもの。強いて言うなら、これは尾張の国・名古屋味噌ということである。

お味噌をたっぷり!好みで山椒と七味を
 錦通りという大通りから二筋入ったところ、静かな住宅街に「つる軒」はある。高級料亭風の家構えに、「ほんとに、おでん屋さんなの?」と思うに違いない。
 玄関から座敷へと、小粋でちょっと色気のある雰囲気が漂う。例えばそれが-藍染めの布張りの引戸であり、鴬辛子、紅色といった和紙の襖であり、荒塗りの壁、燭台に置かれた赤い和ろう燭であり、小さな内庭にこさえられた砂山である。
 この日の床には、六代目尾上菊五郎丈の色紙が掛かっていた。歌舞伎はもとより、「つる軒」を贔屓にしている役者衆は多い。お馴染みの役者さんの舞台がかかる度、初日だ、中日だ、千秋楽だと「つる軒」も楽屋見舞に忙しい。
「つる軒」が店を出したのは昭和44年のこと、今のお店は三年前に建て直したもの。ご主人は歌村鴻助とおっしゃって、もともと商業デザイナーをなさっていた。
「デザイナー? いえ図案屋だで」とおっしゃるけれど、戦前にはナショナルのラジオキャビネットのデザインを手掛けたそうで。
 ご主人のお祖父さまは、和泉流の狂言師であった。ご主人自身も狂言をなさる。
「本業のことだけ書いといてちょうでゃぁ」と言われたので話を戻すが、70歳と思えない色艶の良さ、声の通りはやはり狂言をなさっているからだろうか。
 ご主人は晩年になったら飲食店をしよう、とにかく人に何か食べさせて喜ばせたい、という夢を持っていた。はじめの店は、住まいに少し手を加えただけのものながら、自宅の竹垣や枝折戸を残して、なかなかに情緒があった。店は三畳間と、カウンターだけのこじんまりしたもの、営業時間も六時から九時と決め、店が終わったら本職のデザインの仕事をした。

 屋台のおでん屋に行けない奥さんやお嬢さんに、そのムードを味わってもらおうと始めたので、味付けは女性向きに思いっきり甘くした。「つる軒」のカウンターは、若い女性で大賑いとなった。
「ところが、今度建て直して六畳を三つつくったら、お客筋が変わって、社長さんたちが接客に使うようになってしまった」そうである。
 小豆色の和風仕立てのうわっぱりを召してご主人が、気忙しく座敷と調理場を行き来する。「つる軒」のおでんをいただくについては、ちょっとばかり決まりがあり、初心者はご主人のご指導のもと食事を進めていく。
 食べるベく具の順番と説明があって、それがまことに楽しい。これを鬱陶しいなどと思う人は、「つる軒」で食事をしてはいけない。また食事をする資格も無い。「大根、角麩、豚バラ、こんにゃく、焼き豆腐は一人二本ずつ。取るときは、取り箸を使って、一つずつ取ってちょうだゃぁ。好き好きで山椒と七味を」
とお許しがでて、私はまず角麩から。角麩は名古屋独特のもので、こちらではすき焼に入れるという。「どう?歯ごたえがいいでしょう?」もちもちとした歯ごたえが、大いに気に入って、実は後で追加でお願いした。
続いてこんにゃくと焼き豆腐。
「散り蓮華で、お味噌をたっぷりかけてください。これはお味噌で食べるもんだでね、味噌をたっぷりとね」  普通の焼き豆腐だと、煮込むうちにくずれてしまうそうで、こんにゃく、焼き豆腐、角麩は、いつも決まった店から買っている。
「こんにゃくや豆腐など、だんだんいいのがのうなった。大学なんか行かんでも、そういうものの、いいのを作っとったら食っていけるんだけどね、本当は」
 とご主人。
 さて、その次は大根を。
「下ごしらえで一番長く煮るのが大根で、ずん銅で二、三時間は煮るんだわ」

大きな大根をペロリゆで玉子は、最後に
 具はそれぞれ別に煮ておき、最後におでん鍋に合わせ、ひと煮えさせる。
 説明を聞きながら、大きいなあと思っていた大根を二切、ペロリと平らげてしまった。幼いころは大根の煮つけが苦手で、大人たちが美味しそうに食べるのが、不思議でたまらなかったのに・・・・・。
 途中で調理場へたったご主人は、大ぶりの鉢にたっぷりの味噌ダレを持って帰って来た。玉じゃくしで、鍋の縁すれすれまでタレを注ぐ。さらさらのタレが、やがて煮詰まってとろりとなる。
「私が常にこれをもって回って、味噌ダレを補給するの」
 注ぎ回りつつ、ついつい座敷で、長話になるのである。
 豚肉はよく煮込まれて、脂身のあの毒々しさがきれいに無くなっていた。
「嫌いでも一ぺん食べてちょうだい。脂のだめな人でも、大丈夫だから」
 とおっしゃるとおりであった。
 里芋はお腹がふくれるから、はじめに食べてはいけない。
 ほとんど具が無くなったころ、ご主人が玉子を持ってくる。
「これは、まだ食べちゃいかんよ。見るだけだでね」
 ころあいを見計らい、玉子が飴色に染まるころ、ご飯を運んでご主人が登場する。
「ご飯の真ん中をちょっとへこまして、玉子を載せて、砕いて、味噌をかけて。うちの名物になっとるの」
 黄身と味噌が混ざりあって、リッチでオツな味わいであった。「女性向きの味だ」と言う人には言わせておこう。

「つる軒」のおでんは、体だけでなく心の芯までホカホカと温めてくれる・・・・・



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